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ドラッカー「経営者の条件」(読んでる途中)

以前、最近買った本という記事に書いた本の中で、「実践する経営者」と「経営者の条件」の2冊を読み始めた。どちらも興味深い。どちらもドラッカーの本だが、前者は90年代あたりの論文を集めたもの。後者は60年代の古い本。

 ドラッカーは「経営学の神様」などと言われ、本の題名にも頻繁に「経営者」という言葉が出てくるが、僕自身は経営とはまったく関係がないし、あんまり興味もない。僕はドラッカーを、社会学として読んでいる。

http://blog.livedoor.jp/mineallmine/archives/cat_50011195.html

 この「経営者の条件」の原題は"The Effective Executive"で、「訳者あとがき」には「真意を訳せば『できる人』である」とある。直訳すれば、「成果をあげられる経営幹部」という感じ。本文には、「自らの知識あるいは地位のゆえに、組織の活動や業績に対し、実質的な貢献を行うべき知識労働者は、すべてエグゼクティブである。」としている。つまり、工場で働く労働者や、店頭でレジを打ったりする人たちは、経営的な判断はしない。そういう人たちの成果は、いくつ作ったとか、いくつ売った、みたいな数字化が簡単にできる。

 でも、「この組織はこれからどういう方向に行くべきか」という判断をする人がいる。新しい店をどこに開くか。近くに競合店が来たけど、自分たちの店はどうするか。対抗して維持のために力を注ぐのが得策か。あるいは撤退して別の地域で活路を開くのがいいのか。新しい商品を扱うべきか。今まで扱っていた商品の売れ行きが落ちているけど、まだ売り続けるべきか。今までのノウハウを使って新しい事業を始めるべきか…みたいな判断をちょっとでもする人は、肩書きがどうであっても、部下が一人もいなくても、その人はエグゼクティブだ、とドラッカーは言う。そして、そういう決定をする人は、肩書きのないただの研究員だったり、新入社員がそれを行っている場合も、大組織の中ではよくあることだという。

 だから、「経営者の条件」は、本当は「成果をあげる知識労働者」というほうが本の内容をよりよく表していると思う。

 本書に、「知識労働は、量によって規定されるものではない。コストによって規定されるものでもない。成果によって規定される。」とある。つまり、何時間働いたとか、という基準で知識労働者を測れるものではない、と。どれだけ成果をあげられたか、ということだという。昔、安倍内閣の時、「ホワイトカラー・エグゼンプション」という法案があった。ホワイトカラーの報酬は時間給ではなく成果給であるべき、というような法案だった。この法案は、2005年の日本経団連の提言がもとになっている。日本でドラッカーの著作の翻訳を一手に引き受けている上田惇生はずっと経団連の職員だった人だし、あの法案の思想的根拠をもともと辿れば、この本に行き着くのかもしれない。

 現代の先進国社会は、官・民などの大小無数の組織が入り組んでできた組織社会、多元社会だが、今われわれが当たり前のように思っている大企業や多国籍企業のような巨大な組織が人類の歴史に登場したのは、せいぜい半世紀ぐらい前で、それ以前は、どんな大きな軍隊や帝国などでも、今の大組織に比べたらかわいいものだったという。百年前に超大企業と言われていたものは、今だったら、せいぜい中規模の企業って言われるという。20世紀前半の帝国主義の国の政府の全組織を合わせても、今なら地方の県庁の建物一つの中にスッポリ余裕で入る程度だったという。

 それが、20世紀の半ばぐらいに、大企業のような超大組織が出てきたので、そういう組織を運営するノウハウが必要になってきた。そういう時代の到来を初めて指摘し、組織運営、企業経営の方法を作ってきた中心にいたのがドラッカーだった。

 この「経営者の条件」は、出版社の宣伝では、「超ロングセラーの本書は、経営学のベーシックとして時代を超えて読まれるビジネスマン必携の一冊。」ということだ。「訳者あとがき」では、「経営学を創始しかつ確立した経営学者、P・F・ドラッカーの経営書の三大古典の一つ」「とにかく何ページかでもよい。読んでみていただきたい。経営書には似つかわしくないかもしれないが、面白いはずである。即日役に立つだけでなく、思い当たることばかりのはずである。そして何よりも、興奮させられるはずである。」ということだ。


 前置きが長くなったが、本文から1つ。

 知識労働者への時間の要求は、決して減らない。機械工は、週に四〇時間働くだけである。すぐに三五時間に短縮できる。そして彼らは、かつてはどのようによく働いたとしても、あるいはどのように金持ちであったとしても不可能だったような、豊かな生活を送れるようになる。しかし、機械工の余暇の増大は、知識労働者の労働時間の増大によって償われなければならない。

 今日、先進国において、増大する余暇の過ごし方について困っているのは、エグゼクティブたちではない。彼らは、ますます長時間働いている。しかも、彼らの時間への要求は、さらに増大する。そして、彼らの時間不足は、改善されるどころか、さらに悪化していく。

 このような事態の重大な原因の一つは、高い生活水準というものが、創造と変革の経済を前提としていることにある。想像と変革は、エグゼクティブの時間に対して膨大な要求を突きつける。

 短時間のうちに考えたり行ったりすることができるのは、すでに知っていることを考えるか、すでに行っていることを行うときだけである。(p46)

 つまり、「創造と変革の経済」ということだが、これもドラッカーの根本的な主張の一つだが、近代の経済は、静的なものではなく、常にイノベーションが起きることで成り立っている。たとえば、馬車とかの時代から、自動車というイノベーションが生まれる。最初は高価だけど、大量生産ができるようになると、大学生がバイトして手に入れれるぐらいになる。それは、作り方が、単純労働者でも大量生産ができるようなノウハウができてくるから。

 でも、イノベーションを起こすことは、誰でもできるものではないし、大量生産みたいにスムースにできるものでもない。知識労働者が、時間と手間と汗をかいて手探りですすめていくしかない。

 ということで、機械工の仕事は、生産性が上がっても労働時間は減らせる。ロボットや機械に換えていけるし、場合によっては、非熟練だがより安い海外の労働者に代替できる。それがすすめば、機械工の仕事は、余暇が増えるだけならいいが、仕事自体がなくなる、ということになろう。

 しかしその一方で、知識労働者の仕事は減るどころかどんどん増えていく。

 こういうコントラストは、今の日本にも見られるのではないか?仕事がろくになくて、景気がいいなんてウソだろ?という人が多くいるその一方で、深夜まで働き詰めの人たちが大量にいる。ここに、「格差社会」の問題を解くヒントがあるのではないか?

 昔、ワーキングシェアということがさかんに言われたが、まったく効果のあがらないまま、ほとんど死語になってしまった観さえある。一方で、仕事がまったくない人がいて、一方で忙しすぎる人がいるのだから、単純に考えれば、仕事を分け与えれば良いではないか、という話になる。

 聞くところによると、マルクスとかケインズの経済学は、すべての労働者は同質で、Aさんの仕事をBさんもできるし、その逆も言える、という前提に立っているという。

 でも、どうも今の状況はそうではないのではないか。つまり、マニュアル労働者が無条件に知識労働ができるかというと、そうではない、ということではないか。誰でも「知識をもって組織に成果という形で貢献できる知識労働者にスッとなれるわけではない。

 

 この「経営者の条件」の問題意識もそこにあって、現代の先進国は、成果を上げれる知識労働者が不足している。もしそういう人たちが大量にいなければ「今日の文明は、その維持が不可能とまでは言わなくても、その基盤が極めて脆弱となってしまう。」(p27)という。それにしては、そういう意識が世の中にはほとんどない、と1966年のドラッカーは説く。

 

 知識労働者の生産性。

 今の日本で、この問題がどれだけ意識されているのか。

 日本はかつて一人あたりGDPで世界一だったけど、この頃では18位にまで落ちたという。今朝の「報道2001」で言っていたが、ビジネス環境とかいろんな指標を総合したものをスイスの調査機関がランキングにしたものによると、日本は24位だという。日本では、ものづくりが大事で、それを突破口にして競争力を回復しよう、という感じで語られることが多いが、一方で、知識労働者の生産性という切り口での議論はほとんど見られないのは、心配なことだ。ホワイトカラー・エグセンプションでも、単に「残業代ゼロ法案」と言われたのは、これは知識労働者の問題もマニュアル労働者と変わりないと見ているようで、賛成反対の以前に、問題の焦点がズレている。つまり今の日本は、経済力低下の問題に対処するために努力するしない以前に、正しいスタート地点にすら立てていないのではないか?

 僕はこの本をまだ読みかけだけど、「知識労働者はどうしたら生産性を上げられるか」という、ひょっとしたら今の日本に最も必要な問題を真正面から扱った本と言えよう。40年前の本だけど、だからこそ、この本で言ってることがどの程度当たってるのか外れてるのかも判断しながら読める。



 生産性の高い知識労働者を大量に確保するために、今の日本は何が欠けているのか、何が必要か。この本とは関係なしに、僕はちょっと考えてみた。

 

・まず、機械工の余暇時間はますます増える一方で、知識労働者はますます忙しくなるという。今の日本でもそのまま当てはまっていると思うが、だとしたら、彼らの人生は、仕事の中で自己実現できるライフスタイルが保証されなくてはいけない。日本のエリート中のエリートたるキャリア官僚たちも、若い人たちは次々に辞めていくという現状があるという。やりがいのある仕事を求めて民間に出て行ってしまうという。民間でも七五三離職と言われている。日本全体としてそれが保証されていないということではないか?

 知識労働者が仕事を通じて十分な自己実現できる環境がなければ、彼らはノイローゼになるか、さもなければ仕事をやめてひきこもるかする。知識労働者が減れば、日本の経済ひいては文明を支える基盤が危うくなるし、世界的にみても今日の文明を支える存在ではなくなっていく。それが今の日本の鉄鋼、自動車などメーカーの強さにも関わらず日本全体の存在感が希薄になっている原因ではないか。

 

・それから、マニュアル労働者の需要がますます減り、知識労働者の需要が減るのだから、前者を後者に移動させるために、教育や研修などを受けやすくする。

・そのためには何よりも、「今の社会はこういう社会になったのだ」というビジョンを広め、社会全体で共有する。これは、科学的に証明できるようなものではないので、政治の役割だと思う。ある政党が、「大小の無数の組織からなる多元社会においては、知識労働者が成果をあげるかどうかが、経済、社会がうまくいくかどうかを決定する。そういう時代になった。そのためには、より多くの労働者を、知識労働者たりうるようにし、すでに知識労働者である者が、より多くの成果を上げられるようにすべき」というビジョンを示す。そのビジョンを問いながら国民の支持を求める。それで大方の同意が得られれば、国全体をそういう方向に向かわせるような政策を立てる、あるいは少なくともそれに矛盾する政策をしないようにする。もし「それは違う。反対だ。」という政党が出て、少なからぬ国民の支持が集まれば、それは新しいイデオロギー対立の軸になるのではないか。それは、従来の、自由主義と共産主義という時代遅れの対立軸よりも、より現実的な意味があるのではないか。

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ホワイトカラーエグゼンプション(または、ホワイトカラーイグゼンプション、英:white collar exemption、ホワイトカラー労働時間規制適用免除制度)とはいわゆるホワイトカラー労働者(主に事務に従事する人々を指す職種・労働層)に対する労働時間規制を適用免除すること、またはその制度。
各国の労働法制において、労働時間の規制がなされていることを前提としてその規制の適用を免除し、または例外を認めることで、労働時間の規制を緩和することをいう。狭義には労働時間そのものに関する規制についての緩和を指すものであるが、労働時間規制に付随する規制として、労働時間に応じた賃金の支払いの強制や、一定の時間を超えた超過時間についての割増賃金の適用義務化などが設定されていることから、広義にはこれらの適用の免除についても本制度の範疇として理解される。
なお、exception(例外)との混同かホワイトカラーエグゼプションと書かれる場合もあるが、英語表記はexemptionである。

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