なぜ法案は上程されなかったのか
http://www.president.co.jp/pre/20070305/002.html
■ ビジネススクール流知的武装講座 仕事に役立つ好評連載
ビジネススクール流知的武装講座
2007年3.5号
労働時間改革を阻む
「三つの敵」
労働時間改革は、仕事の効率化や生産性の向上を通じて初めて可能になる。
では、この二つの前提をクリアするにはどうすればよいか。
筆者は、日本企業の強みでもある「三つの敵」に対応しなければならないと言う。
一橋大学大学院商学研究科教授
守島基博 = 文
text by Motohiro Morishima
もりしま・もとひろ●東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院社会学研究科社会学専攻修士課程修了。イリノイ大学産業労使関係研究所博士課程修了。組織行動論・労使関係論・人的資源管理論でPh.D.を取得。2001年より一橋大学商学部勤務。
著書に『人材マネジメント入門』『21世紀の“戦略型”人事部』などがある。
尾黒ケンジ = 図版作成
なぜ法案は
上程されなかったのか
安倍晋三首相の決断によって、一定のホワイトカラー労働者に関して、労働時間規制を適用除外する、いわゆる「ホワイトカラーエグゼンプション」法案が、今国会に提出されないことが決まった。具体的には、厚生労働省の労働政策審議会労働条件分科会が厚生労働大臣に提出した答申に基づく労働基準法改正案が今国会に上程されないことになったのである。
確かに議論の過程で曖昧な点が多く、労働側としては不安であったことは理解できる。特に、日本経団連を中心とする経営側が、適用除外者決定のための年収基準として年収400万円というようなやや突っ張った案を最初に出したことが、働く人の不安を駆り立てた。
また、経営側は、もうひとつ間違いを犯している。経営側は、この方式を導入する背景のひとつとして、「成果主義の浸透」を挙げたのである。
大変申し訳ないが、多くの働く人にとって成果主義は決して前向きの改革ではなかったのだ。前回(2007年1月1日号)にも言及したように多くの人にとって、成果主義の経験は、賃金の目減りだった。それを補うために少しでも残業代を稼いで頑張ってきたのに、それも奪われてしまう。
もちろん、働く人がこう考えることは必ずしもよいことだとは思わない。能力のない、意欲の低い従業員が、単に長く働いたというだけで、高い賃金をもらうのは合理的ではない。
ただ、多くの労働者にとって、残業代とは、言葉は悪いが、確実に自分の賃金を増やす仕組みであり、そのこと自体の是非は議論できても、特に不況下で頼りにしてしまう働き手を責めることは難しいだろう。そんなに怠け者ではない、でも、必ずしも高業績者とは言えない、多くの働き手にとって、残業代は給与の重要な一部だったのである。
そして、最後の一撃がネーミングである。政策立案者がよい名前を提案しなかったのも悪い。でも、その間隙にマスコミが、一部で使われていた、米国の「ホワイトカラーエグゼンプション」という中学時代の英和辞典を出してこないとわからないようなコトバに飛びつき、さらにそれを「ノー残業代」の仕組みだと描写したとき法案の運命は決まったように思う。
ちなみに、本誌2月12日号に、溝上憲文氏も書いておられるように、職務基準での人事管理の伝統がある米国では、年収はそれほど重要視されず(というか、かなり低くても)、職務遂行上の自律性があると認められる職種に従事する労働者が、exempt workersなのである。
その意味で、実態上ホワイトカラーのかなりの割合を占めるとはいえ、米国の思想は「ホワイトカラーエグゼンプション」ではなく、「プロフェッショナルエグゼンプション」なのである。伝統的に職務基準での人事管理を行ってこなかった日本では、職務の定義から働き方の自律性を判断することが難しく、代理指標として、年収を使わざるをえなかったことに一つの難しさがあった。
何を梃子として
改革を進めるか
残念至極である。労働時間規制撤廃の機会が失われたからではない。ましてや、企業がこれからも多くの労働者に残業代を払い続けることのコスト負担を気にしてでもない。今回の法案が日本人の働き方や人事制度について、もう一回考え直すよい機会となるかもしれなかったのに、それがこのような形で決着してしまったことが残念なのである。
では、今後の労働時間改革は何を梃子として議論していくべきなのか。よく指摘されるように、一つの可能性は、有給休暇取得の促進や、長期休暇、ワークライフバランスなどの施策の並行導入である。時間規制をはずして、長時間の労働を強いる代わりに、休暇取得を推進し、健康確保や休みが確保できるようにしようという考え方である。実際、昨年の夏前に厚生労働省が最初に出した法律案はそうなっていた。
ここで正直に言ってしまうと、私は、上記昨年夏の審議会案のたたき台になった報告書を提出した、厚生労働省「今後の労働時間制度に関する研究会」のメンバーであった。そこでは、単に、労働時間規制除外対象になる労働者の特性や年収基準だけではなく、所定外労働の削減や年次有給休暇の取得促進、労働者個人の事情に即した働き方の選択などを同時に検討したのである。また、労働時間規制除外に伴う健康確保措置についても多くの時間を費やした。なかでも時間をかけたテーマが休暇取得の促進である。
ただ、今考えてみると働く人の関心は、休暇の取得にはないのかもしれない。実際、自分のことを考えてみてほしい。人間だから、もっと休みたいと思うことはあっても、それが会社に対する大きな不満の種になるだろうか。現実問題として、もうかなりの休暇や休日が提供されているのである。
逆に休暇や休日の取得よりも多くの人は、賃金の上昇、いや目減りを気にしているように思う。
例えば、いつもこのコラムで使う(独)労働政策研究・研修機構で私たちが行った調査によれば、今、働く人の不満は、主に賃金にあるのがわかる。仕事の各側面についての満足度―不満足度を聞いた質問では、賃金に対して不満である回答者は、全2823名中、約52%であり、休暇・休日に不満な割合約25%の二倍以上いる。同様に、仕事の量、裁量性など、仕事の中身に関する評価を聞いても、不満の割合は、各々約26%、22%と賃金より低かった。仕事と生活のバランスについて不満だという割合は少し増加するが、それでも、約29%である。
さらに、労働時間の増加と休日・休暇に関する不満との関連は、相関の強さを示す相関係数で測って、0.059であるのに対して、労働時間の増加と賃金の不満との相関が0.153であった。働く人は、労働時間の増加が原因となって休日・休暇が減少するので不満だというよりは、相対的に賃金が目減りすることを不満に思っていることが示唆される。
したがって、働く側に受け入れられる労働時間改革は、少なくとも年収低下の可能性が強く認識されない仕組みなのである。そうでなければ、バブル経済崩壊からの復興過程を経験してきた働き手が受け入れることはできないだろう。
改革の前提となる
「効率化」と「生産性向上」
でも、そんなことができるのか? ひとつの方法は、労働時間の改革を通じて、生産性が上がる場合である。いうなれば、働き方の効率性を高め、単位時間あたり、より高い生産性を上げれば、労働への分配として、一定の収入が確保される可能性が高い。その意味で、労働時間の改革は、生産性向上のための働き方の変化、特に仕事の効率化の一部として導入されることが必要なのである。
さらに、特に働く側による受容という観点を持ち込まなくても、本来、労働時間改革は、仕事の効率化や生産性向上を通じてはじめて可能になるのである。
だが、ここで難しいのは、ワークライフバランスや女性の活用などを目指した、多くの働き方改革と同様に、働き手一人ひとりが、どんなに自分の働き方を変えようと思っても、おのずから限界があることだ。働き方は、組織設計のあり方や企業経営の方法と密接に連動しており、組織のなかで仕事をしている私たち一人ひとりがどんなに努力しても、組織全体が変化しないと改革は進まないからだ。
たとえ働く人一人ひとりの工夫や努力が重要だとしても、彼らの自助努力だけに依存しない、企業としての変革である。例えば、本号(70ページ)で取り上げている良品計画の事例などは、多少乱暴な印象を受けるが、少なくともトップのコミットのある全社あげての、仕事の仕方ひいては労働時間改革へ向けての取り組みである。
「敵」=日本企業の強み
というジレンマ
だが、私は、同時にこうした仕組みの変革や効率化のためには、いくつもの敵が潜んでいるように思う。いや、敵というのは正しくないかもしれない。なぜならば、この「敵」は実は多くの企業で、組織としての強みだと認識されている要素だからだ。強みとして認識されてきたからこそ、変えるのが大変だ。
なかでも、私は特に3種類の「敵」との対応の仕方を工夫することが必要だと思っている。
まず、第一の敵が日本企業の顧客重視のあり方である。例えば、お客さんからの要望で、本人が時間外だと思っていた仕事をしなくてはならないケースは多い。特に日本の企業はお客さま志向をその基本としている企業が多く、顧客の要望とあれば、何でも聞いてしまう傾向がある。
でも、こうした顧客対応はわが国企業の強みだとも言われてきた。そのため自分の企業にとって顧客志向とは何を意味するのかを深く考えずして、働き方の変革は難しい。わが国企業が顧客に対して今までと同じような対応の仕方を通じて、強みを維持するのであれば、労働時間改革は極めて難しいだろう。
第二の敵が、日本企業における職務の設計である。一般的にわが国では、一人ひとりの仕事に含まれる課題や内容を明確に定義せず、職務内容や仕事の順番を、働き手が臨機応変に決定するという特徴をもっていると言われる。米国型の職務記述、職務評価の反対に位置する考え方である。
もちろん、この描写がどれだけ妥当かについては明確な検証はされていないものの、直感的に考えて、納得がいく考え方である。そして、こうした柔軟な対応は、時に、働く人に状況に対応するため長時間労働を強いてきた。
だが、同時に、仕事の内容を状況に応じて変化させていくことが、組織の柔軟性や、現場の活力を維持してきたとの議論もある。またそうした主張も直感的に納得できる。働き方改革のために、仕事内容を明確化し、同時に柔軟な組織を設計することは不可能ではないが、今の状態からかなりの転換コストがかかる。やはり労働時間改革は難しい。
そして、最後にさらに手ごわい最後の敵がいる。自分である。日本人の労働倫理だといってもいい。きりのいい所まで仕事を続けたい。仲間のために最後まで頑張りたい。一応の成果がでるまでもう少し、という場合に、それをやめて、労働時間を規制するのは、自分のみである。
だが、これも同時に日本企業の強みだし、また、日本の文化や価値観に深く根ざした「敵」である。これを変えるには、一人ひとりが、労働時間とそうでない時間をきちんと区分して、何が大切かを自分で峻別できるための意識改革が必要である。
結局は、意識改革という陳腐な言葉に落ち着くが、そうした自主的な判断をどこまで働く人ができるようになると考えるのだろうか。また、そうした新しい日本人をどれだけ企業は喜んで受け入れるのか。
労働時間自主管理に基礎を置く、ホワイトカラーエグゼンプションが、単なる残業代節約策や労働強化に繋がるか、または、働く人が望ましいワークライフバランスを確立するための方法論になるかは、こうした日本企業の強みといわれてきた特質をどう考えるかに依存するように思う。労働時間改革はなかなか進みそうにない。
労働時間改革が困難な本当の理由
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