経済同友会代表幹事はこう言う
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/news/070201_whitecolorexemption/
ホワイトカラーエグザンプションは、残業代ゼロではない
今後の働き方に対応した労働時間制度を
(現状を知っていながら、こういうんだから、何らかの意図があるのだとおもいますけど)
政府は、一定条件を満たす会社員を労働時間規制から外す「日本版ホワイトカラー・エグゼンプション」を導入するための労働基準法改正案の、通常国会への提出を見送る方向としたようである。「働き方は今後どのように変化していくのか」。「それに対応する制度はどのようなものが適切なのか」。これらのことを、決して制度導入ありきではなく、国民の理解を深めながらしっかりと議論するためには、国会の場で審議されることが望ましかったと思う。
本制度は、「ホワイトカラー・エグゼンプション」という名称や、断片的な偏った情報などにより、いつの間にか「残業代ゼロ制度」と呼ばれるようになった。誤解が解けないまま、本質的な議論が進められなかった印象がある。
制度の趣旨をそのまま表わすならば「高度専門職年俸制度」とでも言うと分かりやすいのではなかろうか。高度な研究開発・企画立案・調査分析といった仕事の裁量を持つ人を、勤務時間ではなく仕事の成果で処遇していく制度である。残業代が無くなるのではなく、あらためて相応の報酬を設定することになる。決して、仕事の裁量が少なく、勤務時間で管理される人が対象となったり、今の賃金から残業代だけを減らす制度ではない。
今後は知的労働に対応する働き方が求められていく
産業構造の変化、機械化やIT化による仕事の変化によって、今後も知的労働が増えていくのは間違いないであろう。また、人々のライフスタイルの変化、育児や介護支援といった社会的要請も高まっている。そのような環境変化のなか、知的労働をする社員は、仕事に裁量を持ち、勤務時間や場所にとられることなく働くことができるしくみを求めている。
ホワイトカラー・エグゼンプションが仮に実現すれば、付加価値の高い仕事をしながら、より一層の自己実現や能力発揮を行うことができるのではないか。仕事の生産性を向上させながら、健康確保や生活とのバランスを保つことが可能になると期待できる。経営者としては、企業競争力を高めるとともに、競争力の源泉である働く人のニーズに適応した雇用のあり方を考えなくてはいけない。
ホワイトカラーエグゼンプションは「残業代ゼロ」ではない
年収の議論が先行し、仕事の内容の議論が不十分であった
経済同友会は、政府において労働時間制度の見直しの議論が進められていることを受け、ホワイトカラー・エグゼンプションについて議論を進め意見書としてまとめた(「「労働契約法制」及び「労働時間法制」に関する意見書」2006年11月21日)。企業だけでなく国民にも大きく影響のある法制度であると考えている。
前述したように、今後、より一層柔軟な働き方が求められていくことから、ホワイトカラー・エグゼンプションは、将来的な進むべき方向として適正なものだと考えている。ただしその議論は、本質からそれたものになってしまった。
制度の趣旨からすれば、対象者を分別する判断基準として、仕事の質や種類が議論の中心になるべきだった。であるにもかかわらず、その議論の前に、対象者の年収基準が一人歩きしてしまった。そして、その年収を越えていれば、ホワイトカラーとして事務仕事をしている会社員全員が対象となってしまうような印象を与えてしまったのではないだろうか。
多くのホワイトカラーは、仕事の具体的な進め方(手順)についてはある程度裁量があるものの、何の仕事をするかという質やスケジュール(納期)にまで裁量を持っている人は多くない。その点を混同した報道が、さらに不安をあおってしまったと思う。
働く環境や意識といった、根本の改善も置き去りにされた。「制度の導入により長時間労働を助長してしまうのではないか」と懸念されたのは、その象徴である。遅くまで仕事していれば「頑張っている」と評価されたり、「上司が職場に残っていると帰りにくい」という風土の会社もいまだに残っていると思う。もし、そのような意識が残っているのであれば、制度を導入しても意味が無い。経営者も従業員も意識変革をしなくてはならない。
意見書を発表したときは、この制度の議論が進んでいることが国民にあまり知られていなかった。手段の是非にとどまらず、「将来の進むべき方向をしっかりと見定め、本質的な考え方について十分に議論してほしい」という思いを込め、社会に対して議論を喚起するために意見書として発表した。
本質部分の議論を深め、分かりやすい説明を
政府は、引き続き長時間労働の是正や制度の内容を詰め、明確で納得できる答えを出した上で、国民に分かりやすい十分な説明を行ってほしい。
まずは、対象となるべき仕事の内容について議論を深めるべきである。例えばIT業界で考えてみると、システムを設計する、ソフトウエアを作成する、インターネットを利用したビジネスモデルを企画するといった仕事は、対象としてふさわしい仕事であると思う。時間の長さではなく、どのようなものができたかが重要だからだ。逆に、保守サービスのように時間を拘束される仕事や、運用監視のように時間に応じて成果が出る仕事は、年収水準がどうであれ労働時間の管理が必要であろう。
ホワイトカラーエグゼンプションは「残業代ゼロ」ではない
次に年収の考え方である。冒頭に述べたように、この制度にふさわしい、成果で評価すべき仕事であれば、あらためて基本給の設定を考えるべきである。単純に現行の給与から残業分を無くすということではない。その仕事や成果に見合う水準はどの程度が適正なのか、これまでの残業の実績はどの程度だったのか、を総合的に判断する必要がある。
年収が高い人に制度を導入するということではなく、高度な専門職として働く人の年収はそれなりに高くなると思う。そして、そのような仕事の性格や給与水準は業種や企業規模、職種によって異なる。年収一律で決めるのではなく、そこは各企業の労使で判断できる柔軟性が必要である。
また、現時点の案で設定されている休日確保や健康・福祉確保措置などは、重要な視点ではあるが、一方で少々議論がおかしいと感じる。働く日時に裁量がある人に対して、この日に休め・休むなという条件が付くことが矛盾している。また、同じ職場で働く管理監督者や、残業対象となる一般社員との整合性も考えないといけない。上司と部下が忙しく働いているときに、自分は出勤が許されないというようなちぐはぐな状況も発生しかねない。このような付随の条件を設定することは、ある面では必要であるが、形だけでなく現実的なものでなければ意味が無い。
雇用を増やし従業員が企業を選択できる世の中へ
労働基準法は、1911年制定の工場法が基になっている。これを、そのまま今の時代に適用するのは無理がある。当初は主要産業が第2次産業(製造業)であったが、今は第3次産業(サービス業)が増えている。企業も、仕事の種類も、働く個々人も多様化が進み、一律のルールづくりは非常に難しい。
ベンチャー企業のような新しいチャレンジをする企業も増えている。企業内外とも付加価値の高い分野や、生産性の高い仕事に雇用の場が増えていくと、長時間働くことを強いるなど不適切な処遇を行う会社には、人が集まらなくなる。魅力ある会社に人が移っていく。このように、従業員が企業を選択できる世の中になれば、企業の処遇も好条件になっていく。そうなれば、働き方のルールをもっと自由に企業に任せていくことができるであろう。
その意味では、現在は難しい時期なのかもしれない。法制として共通に定めておくべき点と企業が独自に判断できる点とのバランスを見ながら、実態を踏まえた議論が必要である。
多様な人材が多様な働き方を選択でき、個々人の満足度が高まることで企業も成長・発展する。こうした好循環の実現に向け、政府は労働法制を整備し、経営者は働きやすい環境をつくっていくべきである。
北城 恪太郎(きたしろ かくたろう)
1944年生まれ。慶應義塾大学工学部卒業、72年カリフォルニア大学大学院(バークレー校)修士課程終了)
1967年 日本アイ・ビー・エム入社。86年取締役、88年常務、89年専務、91年副社長、93年1月社長。
1999年 IBMアジア・パシフィックプレジデントを兼務。同年12月会長に就任。
2003年4月兼務を退任 経済同友会代表幹事に就任。